息子のイギリス留学日記

12歳で日本を旅立ち、息子はイギリスに留学しました。
ボーディングスクールの中でどんどん自立していく息子。
ジェントルマンとなる日を夢見て・・・母が綴る留学日記です。

2011年3月17日(Thu)

反抗期?の息子

Category :   Author : face   Time : 21時34分50秒

シュルーズベリースクール2年目も終わり、GCSEが始まるシニアスクール最後の年に突入した息子。
夏休みが終わり、シニアスクール3年生になった息子は、仲の良い友達と同室になったせいもあり、楽しい毎日を送っていたようです。
恒例のギャビタスの息子&学校訪問(?)の報告でも、「実にがんばっている、学校も楽しいようだ」という報告を受けていたので母は安心しきっていました。

そして冬休み…「母とはもう出かけない」と言い切る息子は、自分の友達との予定を次々と入れ、私とはあまり接点を持たない。
年々たくましくなる息子と、出かけたり、色んなことを話したい母は、「どうして、関わってくれないの?」と思うのが嫌で、仕事に逃げていました。
正直、仕事が忙しかったのは事実で、でもそのほうが息子も良いだろうと…息子を尊重していたつもりでした。

息子にしてはめずらしく教科書などの勉強道具を持ち帰り、一日3時間は勉強するという息子を誇らしく思いながら、成長したなぁと思った母。
でも、この安心がLENT TEAMに何故?こんなことに…という心配に変わりました。

今思えば、冬休みの最後のころは勉強を一切しなくなり、夜遅くまでおきて朝はお昼過ぎまで寝ているという不規則な生活をしていました。
その時気付けばよかった [ex136]と思っても後の祭りでした。

LENT TEAMに戻った息子は、すぐに行われた試験の結果がかなり悪く、授業をボイコットするなどの反抗も始めまたとのこと。
今のままではハイスクールに進めないかもしれない…ギャビタスの渡邊さんからお聞きした時には、自分の耳を疑いました。

この180度ほどの息子の変化に何がおこったんだろう?状態でした。
こんな時、女姉妹の私には息子にどう接すべきか、どう声をかけるべきか悩みました。
側にいないので、状況はよく見えない。
でも、側にいても見えなかったのかもしれない。

仕事先で、30代の男性に何人も相談しました。息子に近い年の方がいいだろうと、若い男性を捕まえては、どう思う?と意見を求めました。
その結果「母は息子の味方でいよう。父に諭してもらい、母は後ろで大丈夫と言ってやろう」と。

そして息子からのメールには、俺はできる!の一言。
この言葉を信じてとにかく応援してやろう!そう思っていた母の誓いは、その後もろくも崩れ去るのでした。

その訳は、また後日に。


2010年12月2日(Thu)

主張しない日本人

Category :   Author : face   Time : 16時23分25秒

副校長からのお手紙には、息子が授業にちゃんとでていない・・・そんな厳しい内容が書かれていました。
日本語でない分、ニュワンスがわからないのがより不安につながる。

とにかく、ギャビタスのお力?を借りるしかなかった私でした。

息子の話も聞いてみないとこには、何が原因なのかもわからないため、とりあえず息子と話をすることに。
息子の話によると、寮対抗のスポーツと学校の授業がかさなっていて、彼としては寮対抗スポーツに重きを置き、そちらに参加したため授業に出られなかったとの話。

えっなんでそんなことが起こるの?
そうなんです、日本では考えられないダブルブッキング?が平然と起こるらしく、でもハウスマスターはそれを把握していない。
把握させるためには、積極的にそういった事態の原因を先生がたにお話しなくてはならないらしい。

でも息子は、「自分がいいと思ってやっているのだから、悪いとは思っていない」という。
とはいえ、そのせいで先生からの評価が下がっていて、損をしているのは確かなので、「自分が悪くないと思っている理由、どうしてこんなことが起こってしまったのかをちゃんと話しなさい!」と説得するのに大変でした。

日本の男性は、「余計なことはいうな!」みたいな教育を受けていることもありますが、その感覚がイギリスではかなり違う。
自分に非のないことは、ちゃんと主張して訴えるのは当たり前。
日本では黙っている方が偉いみたいなとところがありますが、イギリスではそれは×。自分の主張はきちんとしなさい!とうのが基本だとか。
当たり前のことのようで、主張しない日本人には結構むつかしかったりするようです。

「郷に入れば郷に従え」と息子には言い聞かせましたが、これをきっかけに、私は「イギリス人っておかしい」「イギリス人が見た日本」などという本をかなり読みあさりました。

そして、これがきっかけで私はイギリス人にますます興味を持ち、息子は自分がイギリス人でないことを自覚するとともに、イギリスの学校でどう振舞うべきかを少し考えたようです。
(息子はこのころ、自分はイギリス人!といった振る舞いをしていましたから…日本に帰ってくると)

でも、これは序の口で、これから彼にはいろんな葛藤がまだまだ起こるはず。
ひたすら息子を信じていけばよいのか、母として何か助けられることはないのか…私の葛藤も続いていくんだろうことを感じました。
その葛藤と戦う覚悟はできていなかったけど・・・。


2010年11月5日(Fri)

息子の葛藤?

Category :   Author : face   Time : 12時55分06秒

息子のシニアスクールでの生活は、楽しさ半分、大変さ半分の毎日。
大変さというのは、勉強において。
毎年、10人以上がオックスフォード大学かケンブリッチ大学に合格するボーディングスクールだけあって、ジュニアスクールのときのようにはいかない。
それなりの生徒が集まっているため、少し努力したくらいでは、満足いく成績がおさめられない。

シニアスクールに上がって、イギリス人との体力の差も出始めたようで、体格のよいイギリス人に比べ、きゃしゃなアジア人。
ガールフレンドもできないまま、コンプレックスも出始め・・・。
と、それなりに葛藤している息子がいました。

どうも運動が嫌いらしく、寮長からはもっと運動をしたほうがよいと言われているようですが、本人はちゃんとやっているという。
日本と違って、スポーツもできなくては認められないイギリスでは、勉強ができても「よし」とはしてくれない。

それなりに有名なボーディングスクールに入学し、輝く将来が待っていると脳天気にも思っていた私は、息子が息子なりにつまづき、傷つき、それでもがんばっているだなんて思っても見なかった。
寮長から息子を心配するメールをいただき、初めて息子の周りに起こっている色々なことを知ったのでした。

こんなとき側にいないことのもどかしさと、先生ときちんと話し合えないもどかしさを感じながらも、息子を信じるしかなかった。
どうしてこんなことになったのか、どこでこんな誤解が生まれたのか、ずっと後になってやっと、なんとなくではあるけれど、その理由が分かったような気がしました。

シニアスクール1年目が終わるころ、副校長から1通のメールが届いたのでした。


2010年6月30日(Wed)

入寮の日

Category :   Author : face   Time : 08時47分14秒

シュルーズベリースクール入寮日、私は心を躍らせながら、息子は不安を抱えながらの入寮でした。
息子の寮は学校の正門のすぐ向かいにある「Moser’s Hall」で、レンガ造りの3階建ての建物。

シュルーズベリースクールには、12の寮があります。
それぞれの寮にはハウスマスターがいらっしゃって、寮での生活管理だけでなく、生徒の学力の管理などまで、とにかく生徒1人1人を見つめ、親のように対応してくださいます。

家族を持つハウスマスターは、家族共々この寮に住まれます。
寮の一部が家族の住まいになっていて、入寮の際にはハウスマスターであるミスターフォックスだけでなく、ミセスフォックス、そして2人のお子供さんにもお会いしました。

ミスターフォクスは、背丈が高く、頼もしい感じですが、笑うととてもやさしい顔になる温和な方で、不安をかかえていた息子も、ミスターフォックスと話をして、ちょっと緊張がとれた感じでした。

部屋は2階の角部屋の3人部屋で、新1年生の部屋には上級のルームマスターが付きます。
息子の同室はイギリス人の1年生と、イギリス人の上級生で、この上級生が笑顔のかわいい、とてもやさしい子で、母はもうすっかり安心してしまいました。
ジュニアスクールから届いている荷物を解き、息子のスペースの机やクローゼットに。収納のたくさんついた大き目の机と、その上にベッド、その横にクローゼットが、1人1人のパーソナルなスペースです。
部屋のほか、トイレ、バスルーム、キッチンなども見せてもらいましたが、どこもきれいで(リニューアルしたばかり)、母はまたまた安心です。各寮にはリクレーションルームが付いていて、そこにはキューの台が。
さすがイギリス!

部屋の整理が終わり、ウエルカムティーパーティがある部屋へ。
そこでは、この寮のスタッフ(ハウスマスター以外の先生や世話役の女性、ナースなど)を紹介後、新入生に付くメンターを紹介。
メンターとは、このHPでもメンター主婦というのがありますが、新入生の面倒を見、時には兄として相談役になる上級生で、ハイスクール生が新入生1人に1人ずつつきます。
息子のメンターはリチャードモリという日本人とイギリス人のハーフのハイスクール生で、たぶん日本人である息子への配慮なんだろうと、うれしくなりました。
ただ、リチャードくんはイギリス生まれで、日本には1度くらいしか来たことがないとのことで、日本語はまったくしゃべれません。 [ex135]
ただ、とてもかっこよくて、笑顔の優しい男性(ハイスクール生なので、すっかり大人のようです)で、母はまた安心。

この日驚いたことが一つ。
メンターの先輩達が皆、シャンパンを飲んでいるのです。
親達もほとんどがシャンパンを飲んでいましたが、えっ、学生が何故?と思ったのですが、イギリスでは18歳以上はお酒を飲める法律なんです。
なので、学校でもこのようなパーティではお酒が出ることがあります。
こういう、変に硬いだけじゃないところも私は好きで、やっぱりイギリスに留学させてよかったと、このときあらためて思ったものです。

私が寮を出るとき、息子はちょっと涙目でしたが、母はこの学校で成長していく息子の姿を楽しみに、満面の笑顔で手を振りました。
息子のシュルーズベリー生としての第1歩が始まりました。


2010年5月28日(Fri)

シニアスクール合格

Category :   Author : face   Time : 19時02分37秒

イギリスの学校は9月から始まりますが、シニアスクール受験は6月頃にあります。
ジュニアスクールの校長先生から、大丈夫とのお墨付きをいただいていたので、母は気楽にその日をまっていたのですが、なかなか連絡が来ない。
そう、息子の受験発表の連絡が予定以上に遅れたのです。

留学のサポートしていただいているギャビタスから「他のお子さん方は徐々に報告が届いているのですが、まだ連絡ありませんか?」と電話が来て、なんだか心配に。
おかしなもので、色々なことを考えました。
「もし、ダメだったら、日本に帰らせようか、そのまま残そうか?」
「彼が一番辛いだろーなぁ、なんて言おう。」
などなど、いろんなことが頭を駆け巡る。
先生に太鼓判を押してもらっていたから、サブの学校の受験もしていませんでした。
「シニアスクール浪人ってあるのかしら?」
などなど、今思えば、こんなことまで考えるんだと笑えますが・・・。

こんなとき、親は何ができるのか?
一番辛いのは彼だから、一番悔しいのは彼だから。
自分ががんばらなかったんだから仕方ない、と言えれば簡単なんでしょうが、この悔しさは自分が一番知っていたから、こんな言葉は思いつきもしなかった。
結局、結論もでないまま次の日に持ち越し…。

でも、このドタバタのおかげで、合格したと聞いたときのうれしさは格別のものになりました。
自分以外のことで、こんなに喜べることってあるんだ。
ひょっとしたら、自分のときよりもうれしかったかも?
この日のことは、鮮明に私の記憶に残っています。

シニアスクールに合格したことで、私の息子の勉学への興味は強くなりました。
でも、それは、ちょっと違う方向に行き始めたのですが…。


2010年5月19日(Wed)

シニアスクール受験

Category :   Author : face   Time : 13時59分06秒

ジュニアスクールも2年目となり、今年はいよいよシニアスクールの受験です。
本来は1年でシニアスクール進学なのですが、受験合格の確実性を取り、息子は1年余分にジュニアスクールに行くことにしました。
ですから、今年一緒に受験する同級生は、息子より1歳年下ということになります。
(イギリスはあまり年のことは気にしませんが・・・)

息子が狙うパブリックスクールは、ジュニアスクールよりも街中にあるシュルーズベリースクール。
この「息子の留学日記」の上のバーにしている写真は、シュルーズベリースクールのボートハウスの写真です。
パブリックスクールの中で、ウェストミンスター、ウィンチェスター、イートン、ハロー、ラグビー(ラグビー・フットボール発祥校の逸話あり)、マーチャント・テイラーズ、セントポールズ、シュルーズベリー、チャーターハウスの9校が「ザ・ナイン」と呼ばれる代表的な名門校で、息子が狙うシュルーズベリースクールも「ザ・ナイン」の一つです。
有名な卒業生では、進化論を唱えたダーウィンがいて、メイン校舎の前には彼の肖像があります。

今通っているジュニアスクールは、このシュルズベリースクールに行こうと決めた際に、自動的にこのジュニアスクールが決まったという経緯があり、このパブリックスクールを狙うなら、このジュニアスクールとうように、セット(?)になっているケースが多いようです。
このパブリックスクールには、このジュニアスクール・・・というだけあって、息子のジュニアスクールからシュルーズベリースクールを受験した生徒はすべて合格しました。

そう、息子も無事に合格しました。
合格の一報をもらうまでには、ハラハラ、ドキドキがありましたが、それはまた後日・・・。


2009年8月25日(Tue)

プレップスクール2年目

Category :   Author : face   Time : 11時31分52秒

息子はプレップスクールの2年目に入りました。
最上級生になった息子は、下級生の面倒を見るシャドウの役目もしっかり果たし、どこか頼もしくも見える息子になっていました。

新しいタームの始まる前の夏休み、香港に来ている友達のところにも遊びに行きました。
彼はイギリス人と中国人のハーフで、お母様は香港にいらっしゃいます。
彼は休みの度に香港の母のところに行くのですが、前の年の夏休みに日本に遊びにきてくれたので、今度はこちらが遊びに行くことにしました。
香港では、テーマパークやブリテッシュクラブ(?)に連れて行ってもらい、ちょっと違った香港が楽しめました。
日本のアメリカンクラブには行ったことがあったので、そんな感じ?と思ったそのブリテッシュクラブ(?)は、もちろんイギリス人とその関係者しか入れないようですが、そこにはちいさいけどボーリング場から室内競技場、ビデオレンタルルーム、レストランなど、あらゆる施設が整っていて、1日中楽しめる場所です。

一番驚いたのは、サッカーの試合や競馬も行われるという屋外フィールド。その広さと、施設の良さに「やはりここはもとイギリス領だ」と思わされるスケールでした。
イギリスにいることで、イギリスだけでなく、香港やスペインや、いろんなところに知り合いができ、いろんな国の人と関わりを持てる息子が、羨ましくもなりました。

これからは、もっともっと、彼のグローバルな範囲は広がっていくはず。それを自覚して、与えられた可能性を自分でもっともっと広げて欲しいと思う母です。


2009年6月18日(Thu)

あっという間の1年

Category :   Author : face   Time : 11時47分00秒

プレップスクールでの生活は、息子にはとても楽しい毎日だったようです。
友達も増え、ハーフタームのお休みに友達をガーディアン宅に招いたり、友達の誕生会に招かれたり、友達のお宅にお泊りにいったり・・・。

そしてなにより驚いたのは、イギリス人の彼女ができたこと!
といっても、どこまで彼女だったのかは、なんとも言えませんが、本人曰く、僕のガールフレンドでした。

このころになると、すっかりイギリス人きどりで、GAPは着ない、アメリカンフットボールはスポーツじゃないなどど、「あなたはイギリス人?」と思うような発言をするようになりました。
「日本にはもう帰りたくない!」そういう息子の言葉を聴いて「やった [ex20]」と喜んでいる私。

このころの息子は、日本に帰りたくないから、勉強がんばる!という意識になっていました。
そう、勉強がんばらなければ、日本に帰って来いと母に言われていたので・・・。

プレップスクールは、子供のスケジュール管理をとてもよくしていてくれたようです。
だから、日本にいたころとは違い、勉強するということを当たり間に感じる息子に変化していました。
学校が終わって寮に帰ってからも「宿題の時間」という時間があり、9時にはしっかり就寝。
こんな規則正しい生活は、私の元では絶対にありえなかったこと。
ただただ、先生に感謝するしかない私でした。

そして、イギリスの学校は、成績表に各学科の先生1人1人から丁寧なコメントがつけられてきます。
excellentの文字をみつけると、ついついうれしくなる母。
小学校の成績に比べれば、思った以上に良い成績で、それだけで満足していた私でした。

このころはまだ学校やギャビタスに「まかせっぱなし」で、自分からいろんなことを知ろうとは思わなかった母。
息子がただただイギリスになじんでくれて、楽しく、有意義な学生生活を送ってくれていればいい・・・そんなのん気な母でした。
でも、そののん気さがかえってよかったのかもしれません。

あっという間に1年が終わり、7月に息子を迎えに行ったときには、すっかりパックウッドハグスクールの生徒になっている息子がいました。

今思えば、先生方とガーディアンの暖かいサポートがあってこその1年だったのだと・・・。
その間、私は何をしたのかな?と思うと、子育てに関して何もしていない自分がいたような気さえしています。


2009年3月12日(Thu)

日本語を忘れ始めた息子

Category :   Author : face   Time : 23時54分49秒

息子が英語できちんと手紙を書き始めたころ、息子は日本語をかけなくなりはじめていました。

ある息子の手紙には「I fogot same Japanese word.(ケandシ)」と書かれていました。
シとツならともかく、何故ケとシなんだろう?と思った母。

そんなケとシの違いを言う前に、気付いて欲しかったのは私の名前。手紙の宛名にカタカナで書かれた私の名前の一字「ヨ」が、なんと「E」になっているではありませんか [ex135]
何故、カタカナとアルファベットを間違えるのか?
かなり不思議ではありましたが、その後、彼の手紙で私はたびたび別の名前にされてしまいました。 [ex112]

そして、よく見ると「東京都」は「東京部」となり、それでも手紙は届くんだと思いつつも、笑うしかない母がいました。

「日本人なんだから、日本語もちゃんとしゃべれるべき」という海外で暮らす子供を持つ母の話をよく聞きます。
でも、私にはそんな思いはありません。

というのも、私も故郷の方言はすっかりしゃべらなくなり、故郷に帰っても標準語を話します。
それが故郷を忘れていることでも、故郷を裏切っていることでもないと思う私は、息子が英語しか離せないことは、別に気にすることではないからです。
本当にそれがいいことなのかどうかは、これからの彼次第でしょう。
彼は、イギリスでずっと暮らしていきたいと言っているので…。

だから、日本語がかけなくなることよりも、どんどん英語がうまくなる息子の成長の方ががうれしくてたまらない母なのでした。

そして、このころから、彼の手紙を読む度「へぇ〜」と思うことが多くなりました。

「I did shooting on Tuesday. I scored 78 points. But I wanted 85 points.」

この文章を読んで、ジュニアスクールでシューティングがあることに「へぇ〜」と思いましたが、それよりも85ポイント取りたかったといった息子に「へぇ〜」でした。
というのも、日本の小学校のころは、何もやってもほどほどで、負けず嫌いの母にとっては歯がゆくなることの多い息子。
そんな彼が結果に満足せず、「もっと」を望んだということに「へぇ〜」と思うと同時に、「もっと」を望むようになった息子にうれしいいばかりの母でした。

I like this school.
手紙の最後に書かれた一文を見て、イギリスにやって本当によかった!間違いなかった!
そう思い始めた母がいました。


2008年11月27日(Thu)

プレップスクール生活開始

Category :   Author : face   Time : 14時07分31秒

不安を抱えたまま、息子のプレップスクールの生活は始まりました。
でも彼にとって、同じような友達と始終一緒にいる生活は、すぐに楽しい生活 [ex01]になったようです。

寮生活は10人くらいが同室で、隣のベッドもすぐ近く。
団体生活がダメな子にとっては過酷な環境でしょうが、息子にとっては実にHappyな環境。
すぐに友達をつくって、1週間後には「楽しい」という手紙を送ってきました。

英語を覚えるために、寮では日曜日に強制的(?)に親への手紙を書かせます。
初めての手紙は、出だしは英語であったものの、3行目からは日本語で、英語と日本語のまじった不思議な手紙でしたが、二通目からはしっかり英語で書いてくるようになりました。
ただし。母はこの文章を読むのにどれだけ苦労したか・・・。

というのも、息子のスペルは活字体と筆記体が一緒になったような文字で(先生の文字もそんな感じです)、「f」なのか、「j」なのかそれとも別の文字なのか、判別のつかない文字が多く、英語を訳す以前の問題で・・・。
また、初めの頃は字がきたなく、なんとかいてあるのかを解明するのに時間がかかったものでした。 [ex108]

それでも、「I’m having really good time in Packwood Hagh.」と書いてあるのを見て一安心の母。
楽しいという文字が私にとっても一番嬉しくもあり、ホッとする言葉でもありました。

でも、このころの私は真剣にイギリスの教育について知ろうとするほど興味があるわけではなく、なんとなく息子をプレップスクールに通わせているというのが現実でした。
たまにくる成績表と、ギャビダスからの連絡で把握するくらいで、あとはすべて学校にお任せ状態でした。


2008年10月28日(Tue)

プレップスクール入学

Category :   Author : face   Time : 11時15分43秒

パリで私の仕事を終え、息子とまたロンドンへ。
パリでは息子の少ない夏休みを楽しませてやるため、私にとってもはじめてのパリ観光もしました。
入寮に備えて、息子が必要なものをパリやロンドンで買い足し、ロンドンで一泊してシュルーズベリーに向かいました。

シュルーズベリーはバーミンガムの西に位置する小さな街です。
ロンドンのユーストン駅からバージン鉄道に乗り、バーミンガムかクルーという駅で乗り換えますが、ロンドンから約2時間半強かかります。

ユーストン駅から列車に乗るのもこの日が初めてで、チケット購入などは息子が率先して購入してくれたのですが、ホームや列車は息子ではあてにならないので、人に確認しながら無事列車に乗り込みました。
バージン鉄道の列車には車両の前、後ろ、中間あたりに大きな荷物を載せる場所があります。ただし、早く乗らなくては、その場所が荷物でいっぱいで、置けなくなくなるときがあります。
(なので、いつも早めに行って乗り込むようにしています)
リザーブ席を買えば席は確保できるのですが、早めにいけばavailableと書いた席に座ることも可能で、今までレザーブ席を買わなくても席を確保することは出来ています。

無事、シュルーズベリーに到着し、出迎えに来てくれていた知り合いとホテルへ。
この知り合いというのが、mixで知り合った女性で、この日初めての対面。彼女がいてくれたことで、シュルーズベリーの街にもすぐに慣れることができ、どんなに心強かったことか・・・。
インターネットの普及でこんな出会いもあり、便利な時代になったものです。

そして息子の入寮日。
イギリスでは入学式のようなものはありません。
入寮する際にちょっとしたティーパーティがあり、先生達の紹介や同じく入寮する子供やその親との交流はここで行われます。
息子が入学したプレップスクール「パックウッド ハグ」は、シュルズベリーの街中からは車で30〜40分位の場所にあります。
周りはひつじばかりがいる田園風景で、とてものどかな雰囲気です。

日本人の入学は一緒に語学学校に通っていた女の子と2人だけで、お茶会ではそのお母さんと彼女のガーディアンと一緒に参加しました。
このころは何がなんだかわからないまま、ただそこにいるという感じで、息子の部屋を見に行くこともないまま、息子との別れの時間になってしまいました。

息子もはじめての学校でかなり心細かったと思うのですが、一緒に入学した女の子が別れるときに泣き始め、その子を励ましたり、なだめたりしてる息子は泣くに泣けず、結局、最後まで泣かない(泣けない?)息子との別れになりました。

息子のボーディングスクール生としての生活が、この日からスタートしました。


2008年10月14日(Tue)

語学学校卒業

Category :   Author : face   Time : 12時46分38秒

語学学校を無事卒業してプレップスクールへの入学。
英語を忘れないため、日本への帰国はなく、夏休みは1週間。
私は息子をプレップスクールに入学させるため、1人イギリスに向かいました。

このころの私は息子のイギリス教育に意外と無関心で、ギャビタスに任せっぱなし。新しい学校の情報も知らないままの渡英でした。

まずは、通っていた語学学校に息子を迎えに。
実は、私はイギリスで地下鉄以外乗ったことがなかったので、今回初めて長距離列車に乗ることになりました。
「イギリスの列車は時間もあてにならない・・・」など聞いていたものだから、ちゃんと迎えにいけるのかどうか、実は半信半疑状態。
ロンドンに着いた日、明日に乗る列車が発車するウォータール駅を下見に行きました。
ウォータール駅で向かう方面の列車を確認し、切符売り場を確認し、明日に備えたのです。

そして当日、切符売り場で乗るはずの電車が書かれた紙を見せ、チケットを購入し列車に。
窓の外には、のどかな風景画続いていたのに、それを楽しむ余裕も無く、降りる駅をひたすら確認していた私。
1時間半後、目的の駅についたら今度はタクシー探し。
小さな町なのでタクシーがいるのか心配でしたが、駅にはタクシーセンターがあり、タクシーはすぐに手配できました。

そして、タクシーは息子が通った語学学校に。
久々の息子との再会に、気持ちが高ぶっていた私はスーツを着て立っている息子の姿を見て、つい「うるっ」ときてしまいました。
なのに、そんな私にクールな一言・・・「なんかその髪型変!」
久々の再会の一言がこれで、なんとも感動的な再会とは言えないものでした。

息子が大好きになった校長先生夫婦と会い、お世話になった先生方ともお昼をご一緒し、息子が楽しかったという理由が分かりました。
みんないい方で、愛情をもって息子に接してくださったことも手に取るように分かりました。
だから、息子はここを離れるのを残念がり、別れ際ついに泣いてしまいました。

帰りの列車の中でもずっとブルーだった息子。
たぶん、次へのステップであるプレップスクールへの入学への不安もあったんだと思います。

この日、ロンドンの日本語学校にいらっしゃる、小学校3、4年の時の担任の先生と夕食をご一緒したのですが、それでも元気にはなれきれず、夕食もあまり食べない息子でした。

明日からは私の仕事でパリへ。
その間に元気を出してくれればいいんだけど…そう思うしかない母でした。


2008年8月4日(Mon)

楽しいばかりの語学学校

Category :   Author : face   Time : 14時47分25秒

Bishopstrow Collegeでの息子の生活は、毎日が楽しくて、楽しくて仕方の無い様子。
英語での会話がなんとかなり始めたこともあり、先生達とのコミュニケーションがうまくいっていたようで、ぱったり私への手紙も来なくなってしまっていました。

息子の情報といえば、ギャビタスからの先生の報告を聞いて知るというのが当たり前になり、それによると楽しくやっているとの事で、ホッとした私もあまり手紙を書かない状況に!
「まぁ、楽しくやっているんだろう…」と思うことで、私も安心して仕事に没頭することができました。

あまりに電話がこないので、一度学校に電話をかけると息子は不在で、電話をとられた校長先生(女性の先生です)は、息子のことを「いい子だ、いい子だ」と褒めてくれるのですが、それに対してうまく答えられない私は、ただただ「Thank you very much.」を繰り返すばかり・・・。
ギャビタスの報告や先生と直接話したことで、先生方の暖かい教育や対応が見え、私もすっかり安心しきってしまいました。

やっぱりイギリスに息子を行かせて正解だったかもしれない・・・この頃からなんとなくそう思うようになりました。
というより、自分がそう思いたかったんだと思います。
まだまだ、未知数なところにいる息子だったのに・・・。

そして8月、息子が無事語学学校を卒業し、プレップスクールに入学する日がすぐそこまでやってきました。


2008年6月22日(Sun)

留学3ヵ月目

Category :   Author : face   Time : 17時39分50秒

Weald Houseでの生活も3ヵ月目に入り、息子の手紙もちょっと変わってきました。
「帰ってもいい?」という言葉が出なくなったのです。

ロンドンに遊びに行ったと、ロンドン2階建バスのポストカードを送って来た頃の息子は、すっかりイギリスに馴染んでいました。
まだまだ不安定な状態でいる息子でしたが、あっという間に3ヶ月が過ぎ、新しい語学学校に進むという連絡が来たのは、6月末のことでした。

7月1日からはBishopstrow CollegeというWeald Houseよりも大き目の語学学校に通う予定でした。
9月から通うジュニアスクールの寮も大勢の生徒との暮らしなので、似たような語学学校で寮の生活に慣れさせるという目的があるそうです。

通う予定でした…と書いたのは、実はこの学校は息子達が第一期生で、学校の建設が間に合わなくて1日に入寮できなかったのです。
しばらくは、学校の校長の計らいでリゾート地?と思うようなリクリエーションセンターに宿をとっていただき、息子達はそこでしばらく生活することになりました。

その連絡を受け、少々不安を覚えたものの、そのリクリエーションセンターをHPで見たときには、「かえってラッキーだった?うちの息子は…」と思った私。
広い敷地にプールや池やゴルフ場やとにかく楽しそうな施設がいっぱい!
イギリスならではのアバウトさが、いい方に転んだような、そんな感じでした。

そして息子は、7月中旬、できたばかりのBishopstrow Collegeに無事入学しました。
この日から、彼の楽しくて仕方ない語学学校生活がスタートしました。


2008年6月15日(Sun)

Weald houseでの生活

Category :   Author : face   Time : 12時59分09秒

ギャビタスのスタッフの方がWeald houseを尋ね、息子達へのヒヤリングをしていただいた報告を楽しみ半分、心配半分の気持ちで伺いました。

Weald houseには、4人の日本人がお世話になっていました。
そのうち、1人の女の子はどうしてもやっていけずに日本に戻り、このときは3人になっていました。

ヒアリングの結果は、3人ともが先生が厳しすぎる旨を、訴えてくるとのこと。
その話を先生にすると、ちょっと悲しんでいらっしゃったとのことなどをお聞きしました。
でも、3人がとても仲良くなっていて、団結して先生に立ち向かっているとか。
そのためか、今でも3人とも仲がいいです。笑

まだまだがんばれそうな気配を感じた私は、メールでいただいた息子の写真がただただ嬉しくて・・・。
ちょっと寂しそうな顔をしている写真に心が痛みましたが、早速写真をプリントアウトして、心配しているうちの両親に送りました。

でも今思えば、Weald houseでの教育が息子のイギリスでの基盤をつくりました。
今ではなくなってしまったこの学校ですが、息子はここで学べて本当によかったと思っています。

箸を持てば、きれいに食事できない息子が、フォークとナイフを持つと、とてもきれいに食事をします。
「口を開けてご飯食べない!」「音を立てて食事しない!」そう息子は人に言います。
きっとWeald houseで厳しく躾けられたのでしょう。

そして、女性という女性にドアを開け、エレベターで先を譲るレディファーストもここで仕込まれました。
ジェントルマンとしての基礎を徹底的に仕込んでくださったWeald houseのMr&mrs Griffinに感謝しても感謝しきれません。

そして、英語力・・・ここでの厳しい教育があったこそ、きれいなブリティッシュイングリッシュを話す息子がいるんだと思っています。

息子はこの学校で経験した「厳しさ」を土台に、さらなる努力につなげていくだろうと、そう感じれる私がいます。


2008年6月11日(Wed)

息子からのはじめての手紙

Category :   Author : face   Time : 20時28分20秒

息子からの初めての手紙には、語学学校の厳しい様子が見て取れる内容でした。
泣いてはいけないとも言われているようで、私のことを思い出して悲しくなる・・・そんな言葉で始まっていました。

「悲しかったらいつでも帰っていい?」
そう書きながら、それでも「マンガを送ってね」、「7月に次の語学学校に行く前に休みがあるから、迎えに来て。一緒にどこか旅行いこうね」という、それでもがんばって続けていこうとする気持ちも見えて、後半は涙で字が読めなくなってしまいました。

「私もがんばらなきゃ!」
小さな頃から、私の仕事のためにいろいろな我慢をしてきた息子でしたが、ここまでの「我慢」を見せたのは初めてで、「私は間違っていなかったんだろうか?」と思わずにはいられませんでした。

でも、これから大人になっても我慢しなきゃいけないことはたくさん出てくるし、ここで乗り切れなきゃ何も始まらない!
「がんばれ、息子!」
そうつぶやきながら、自分も仕事がんばろうと思うことで、乗り切ろうとしていた私がいました。

厳しくなりきれない・・・仕事の負い目もある私は、結構息子に甘い母でした。
そんな私の最初の覚悟でした。
いい方に転ぶか、悪い方に転ぶか・・・どちらにしても腹を括ろう。

5月に入っても、まだまだ「寂しくなったら帰っていい?」という手紙をよこす息子。

「中途半端な気持ちで息子を留学させたんじゃない!息子を信じよう!」

そう自分に言い聞かせていました。
日本ギャビタススタッフの方が、息子の学校に訪問し、ヒアリングを行うという日が近づいている頃のことでした。


2008年5月24日(Sat)

語学学校での生活開始

Category :   Author : face   Time : 17時52分50秒

息子が旅立ち、次の日に「無事ロンドンに着きました」という報告を受けるまで、落ち着かない時間を過ごしました。

息子がいなくなって1週間・・・寂しくなかったかと言えば、うそになります。
でも、1週間後くらいからは、朝ご飯も作らなくてもいい、夜も何時までも出かけられる生活に、喜びすら感じでしまうようになりました。
ただ、息子は楽しくやってるだろうか?ということだけが、常に心のどこかに引っかかっていたけれど・・・。

その頃、息子はWeald houseという語学学校での生活が始まっていました。この学校は、ロンドンの南約70キロに位置するChaileyという小さなビレッジにある小規模な語学学校で、校長とその旦那様の住むご自宅に息子はホームステイしながら語学や生活指導を受けました。

最初は電話連絡もなかなか出来ず、とにかく手紙を送りました。
そして、やっと電話で話した時、息子は、先生がとても厳しくて、辛いと・・・そして、「帰ってもいい?」と言いました。
さすがにこれには胸が痛みました。
でも、ここで諦めては何にも始まらない。心を鬼にして「もう少しがんばろう!帰るのはいつでもできるから・・・」と、とにかく明るく言うしかありませんでした。

息子が辛い思いをしてる。
この時期が、息子にとっても、私にとっても、一番辛い時期でした。


2008年5月5日(Mon)

最終準備、そして旅立ち

Category :   Author : face   Time : 09時13分17秒

バタバタと慌しい準備は旅立つ前の日まで続きました。

息子の6年の担任の先生に提出する成績表を英語で作成してもらい、ビザ取得のためにイギリス大使館に行き、そして学費の支払い。
留学後すぐ行く語学学校の学費だけでなく、9月から入る予定のプレップスクールの登録料、2年後に行くシニアスクールの保証金、ギャビタスの年会費などなど、100万単位のお金を送金する日々。
今まで仕事して貯めたお金が銀行口座からどんどんとなくなっていく。

そう、イギリス留学は高額なお金がかかります。
イギリスは納税者の子供でなくては公立の学校には入学できない為、留学は私立校しか選べません。
でも、ボーディングスクールと呼ばれる私立校は、イギリスの中でもしっかりした教育を行う伝統的な学校が多く、それがイギリスへ留学させる意味でもあります。
高額なお金がかかることは最初から覚悟上でした。

日本人は多くのお金をきっちり支払ってくれるため、学校からはかなり歓迎されます。
それでも、イギリスへの留学はアメリカなどに比べるとまだまだ少なく、情報も少ないのも確かなことだけど、それ以上にこの留学費が高額であることが大きな要因だど思います。

でも、それを出すだけの価値は十分あります。
それを息子は十分認識し、「ここで勉強していきたい」という息子の気持ちに、私もこれから最低5年は答えていく覚悟を決めました。

そして、全ての手続きが整い、あとは出発時の持ち物をまとめるだけとなりました。
これに関しては、ギャビタスからリストをいただいたので、それに準じて用意し、詰めるのみ。
ただし、持ち物にはすべて名前を入れなくてならず、洋服には名入りのテープを糸で付けます。
久々に裁縫をした気分になりました。

あと3日で日本を旅発つという日、実家から私の両親が上京してきました。そして、妹の家族も一緒に息子とのお別れ会を東武動物公園に行く会で開催。
この日、夕方まわりが暗くなるとともに寂しくなってしまったのか、息子が涙ぐみ始めました。
私の父が、そんな息子をみてとても辛かったと先日言っていましたが、私も母親、辛くないわけはありません。
でも、ここは私が強くしていなくては、彼の決心がまた揺らぐので、
「何泣いてるのよ、しっかりしなさい!」笑って言うしかなかった。
笑って「がんばれ!」と言っていなければ、私も泣いてしまいそうだったので・・・。

2日後、息子は成田を発ちました。
私は彼が乗る飛行機を見えなくなるまで見送っていました。彼が無事ロンドンに着くのを祈りながら・・・。


2008年4月28日(Mon)

息子がイギリス留学を決心した訳

Category :   Author : face   Time : 14時19分21秒

息子がイギリス留学を決めたきっかけはなんだったのか?
そんな質問をいただきましたので、この場を借りてお答えします。

まず、最初に行こうと決めたのは「イギリスの学校ってほんとうに楽しいよ!」という留学中のお兄さんの話を聞いたときでした。

私の知っている限り、イギリスの学校に行っていて「楽しくない」という子は一人もいません。
みんな「日本には帰りたくない」というくらいイギリス大好きになり、学校生活が楽しいといいます。
それはどうしてなのか・・・わかっているようで、はっきり答えられない私は、息子のジュニアスクール生活をちゃんと見つめていなかったなぁ・・・と反省しています。

プレップスクールの教育姿勢と先生方のフォローの賜物じゃないでしょうか?と思っていますが。

息子の学校の生徒達も、実に仲が良いです。
見てみぬふりなど、決してしません。

冬休み明けに息子の入寮に立ち会ったとき、息子を見つけた友達はすぐさまスーツケースを一緒に持って階段を上がってくれ、君の新しい部屋はどこかな、一番奥だったかな?といいながら、一緒に寮の部屋を探してくれました。
そして、「友達はみな食堂にいるから、後でおいで!」と彼。
でも、息子が私との別れを寂しがったのを察したのか、息子が私が乗ったタクシーを見送っている間、ずっと寮の1Fで息子のことを待っていてくれました。
そんな、気が利く優しい子ばかりです。
こんな中にいれば、息子が今のように優しい子でいるのが、わかりような気がします。

そして、最後に彼が決心したのは、日本では考えられない教育プログラムと学校の規模の大きさ、厳しい中に個を重んじる柔軟さを、子供ながらに話を聞きながら悟ったからだと思います。
子供ながらにその凄さに、チャレンジしてみたい気持ちが湧いてきたようです。

そして今、寮長をやりながら、自分が今いる学校にいることを誇りに思っている息子は、やはり日本には帰りたくないといいます。

そんなイギリスの教育プログラムなどについてはおいおい紹介していきますね。


2008年4月23日(Wed)

留学準備・・・最後の追い込み

Category :   Author : face   Time : 07時18分06秒

新年になり、留学の準備が慌しくなってきました。
実際にギャビタスへの申し込みをし、社長である渡辺氏との面接にも行きました。

私は他の母に比べて、あまり留学について調べてもおらず、「どこどこの学校に行かせたい!」というのもなかったので、すべてがギャビタスまかせ。

息子が別室で面接を受けている間、「何も決まってなくてすみません、イギリスならどこでもいいと思っているので・・・」というと、「どうしてもイートン校にいれたいというお母様もいらっしゃいますが、そういうのも困りますけどね」と言われました。
やっぱり、皆さん意気込みが違う!

渡辺氏からは、いかにイギリスのボーディングスクールが素晴らしいかを教えていただき、まだまだ実感はないものの、でも間違っていなかったことを再認識しました。
私は学校のパンフレットでみる何エーカーもある学校の敷地と建物、そしてクリケットや乗馬などの写真にただうかれていただけですが・・・。

息子はといえば、ベルリッツで2年間英会話を習わせてたとはいえ、とてもしゃべれると言う感じではなかったのですが、「ちゃんと挨拶もできますし、英語になれている感じなので大丈夫ですよ」と言われ、ちょっと安心した様子。
高い英会話の授業料も無駄じゃなかったようです。

この日、息子は再度イギリスに留学することを決心しました。
そして、シュルズベリーという街にある寮生の比較的多い学校に留学することを決めました。

この日から留学準備の最後の追い込みが始まりました。