息子のイギリス留学日記

12歳で日本を旅立ち、息子はイギリスに留学しました。
ボーディングスクールの中でどんどん自立していく息子。
ジェントルマンとなる日を夢見て・・・母が綴る留学日記です。

2008年6月22日(Sun)

留学3ヵ月目

Category :   Author : face   Time : 17時39分50秒

Weald Houseでの生活も3ヵ月目に入り、息子の手紙もちょっと変わってきました。
「帰ってもいい?」という言葉が出なくなったのです。

ロンドンに遊びに行ったと、ロンドン2階建バスのポストカードを送って来た頃の息子は、すっかりイギリスに馴染んでいました。
まだまだ不安定な状態でいる息子でしたが、あっという間に3ヶ月が過ぎ、新しい語学学校に進むという連絡が来たのは、6月末のことでした。

7月1日からはBishopstrow CollegeというWeald Houseよりも大き目の語学学校に通う予定でした。
9月から通うジュニアスクールの寮も大勢の生徒との暮らしなので、似たような語学学校で寮の生活に慣れさせるという目的があるそうです。

通う予定でした…と書いたのは、実はこの学校は息子達が第一期生で、学校の建設が間に合わなくて1日に入寮できなかったのです。
しばらくは、学校の校長の計らいでリゾート地?と思うようなリクリエーションセンターに宿をとっていただき、息子達はそこでしばらく生活することになりました。

その連絡を受け、少々不安を覚えたものの、そのリクリエーションセンターをHPで見たときには、「かえってラッキーだった?うちの息子は…」と思った私。
広い敷地にプールや池やゴルフ場やとにかく楽しそうな施設がいっぱい!
イギリスならではのアバウトさが、いい方に転んだような、そんな感じでした。

そして息子は、7月中旬、できたばかりのBishopstrow Collegeに無事入学しました。
この日から、彼の楽しくて仕方ない語学学校生活がスタートしました。


2008年6月15日(Sun)

Weald houseでの生活

Category :   Author : face   Time : 12時59分09秒

ギャビタスのスタッフの方がWeald houseを尋ね、息子達へのヒヤリングをしていただいた報告を楽しみ半分、心配半分の気持ちで伺いました。

Weald houseには、4人の日本人がお世話になっていました。
そのうち、1人の女の子はどうしてもやっていけずに日本に戻り、このときは3人になっていました。

ヒアリングの結果は、3人ともが先生が厳しすぎる旨を、訴えてくるとのこと。
その話を先生にすると、ちょっと悲しんでいらっしゃったとのことなどをお聞きしました。
でも、3人がとても仲良くなっていて、団結して先生に立ち向かっているとか。
そのためか、今でも3人とも仲がいいです。笑

まだまだがんばれそうな気配を感じた私は、メールでいただいた息子の写真がただただ嬉しくて・・・。
ちょっと寂しそうな顔をしている写真に心が痛みましたが、早速写真をプリントアウトして、心配しているうちの両親に送りました。

でも今思えば、Weald houseでの教育が息子のイギリスでの基盤をつくりました。
今ではなくなってしまったこの学校ですが、息子はここで学べて本当によかったと思っています。

箸を持てば、きれいに食事できない息子が、フォークとナイフを持つと、とてもきれいに食事をします。
「口を開けてご飯食べない!」「音を立てて食事しない!」そう息子は人に言います。
きっとWeald houseで厳しく躾けられたのでしょう。

そして、女性という女性にドアを開け、エレベターで先を譲るレディファーストもここで仕込まれました。
ジェントルマンとしての基礎を徹底的に仕込んでくださったWeald houseのMr&mrs Griffinに感謝しても感謝しきれません。

そして、英語力・・・ここでの厳しい教育があったこそ、きれいなブリティッシュイングリッシュを話す息子がいるんだと思っています。

息子はこの学校で経験した「厳しさ」を土台に、さらなる努力につなげていくだろうと、そう感じれる私がいます。


2008年6月11日(Wed)

息子からのはじめての手紙

Category :   Author : face   Time : 20時28分20秒

息子からの初めての手紙には、語学学校の厳しい様子が見て取れる内容でした。
泣いてはいけないとも言われているようで、私のことを思い出して悲しくなる・・・そんな言葉で始まっていました。

「悲しかったらいつでも帰っていい?」
そう書きながら、それでも「マンガを送ってね」、「7月に次の語学学校に行く前に休みがあるから、迎えに来て。一緒にどこか旅行いこうね」という、それでもがんばって続けていこうとする気持ちも見えて、後半は涙で字が読めなくなってしまいました。

「私もがんばらなきゃ!」
小さな頃から、私の仕事のためにいろいろな我慢をしてきた息子でしたが、ここまでの「我慢」を見せたのは初めてで、「私は間違っていなかったんだろうか?」と思わずにはいられませんでした。

でも、これから大人になっても我慢しなきゃいけないことはたくさん出てくるし、ここで乗り切れなきゃ何も始まらない!
「がんばれ、息子!」
そうつぶやきながら、自分も仕事がんばろうと思うことで、乗り切ろうとしていた私がいました。

厳しくなりきれない・・・仕事の負い目もある私は、結構息子に甘い母でした。
そんな私の最初の覚悟でした。
いい方に転ぶか、悪い方に転ぶか・・・どちらにしても腹を括ろう。

5月に入っても、まだまだ「寂しくなったら帰っていい?」という手紙をよこす息子。

「中途半端な気持ちで息子を留学させたんじゃない!息子を信じよう!」

そう自分に言い聞かせていました。
日本ギャビタススタッフの方が、息子の学校に訪問し、ヒアリングを行うという日が近づいている頃のことでした。