12歳で日本を旅立ち、息子はイギリスに留学しました。
ボーディングスクールの中でどんどん自立していく息子。
ジェントルマンとなる日を夢見て・・・母が綴る留学日記です。
息子が英語できちんと手紙を書き始めたころ、息子は日本語をかけなくなりはじめていました。
ある息子の手紙には「I fogot same Japanese word.(ケandシ)」と書かれていました。
シとツならともかく、何故ケとシなんだろう?と思った母。
そんなケとシの違いを言う前に、気付いて欲しかったのは私の名前。手紙の宛名にカタカナで書かれた私の名前の一字「ヨ」が、なんと「E」になっているではありませんか
何故、カタカナとアルファベットを間違えるのか?
かなり不思議ではありましたが、その後、彼の手紙で私はたびたび別の名前にされてしまいました。
そして、よく見ると「東京都」は「東京部」となり、それでも手紙は届くんだと思いつつも、笑うしかない母がいました。
「日本人なんだから、日本語もちゃんとしゃべれるべき」という海外で暮らす子供を持つ母の話をよく聞きます。
でも、私にはそんな思いはありません。
というのも、私も故郷の方言はすっかりしゃべらなくなり、故郷に帰っても標準語を話します。
それが故郷を忘れていることでも、故郷を裏切っていることでもないと思う私は、息子が英語しか離せないことは、別に気にすることではないからです。
本当にそれがいいことなのかどうかは、これからの彼次第でしょう。
彼は、イギリスでずっと暮らしていきたいと言っているので…。
だから、日本語がかけなくなることよりも、どんどん英語がうまくなる息子の成長の方ががうれしくてたまらない母なのでした。
そして、このころから、彼の手紙を読む度「へぇ〜」と思うことが多くなりました。
「I did shooting on Tuesday. I scored 78 points. But I wanted 85 points.」
この文章を読んで、ジュニアスクールでシューティングがあることに「へぇ〜」と思いましたが、それよりも85ポイント取りたかったといった息子に「へぇ〜」でした。
というのも、日本の小学校のころは、何もやってもほどほどで、負けず嫌いの母にとっては歯がゆくなることの多い息子。
そんな彼が結果に満足せず、「もっと」を望んだということに「へぇ〜」と思うと同時に、「もっと」を望むようになった息子にうれしいいばかりの母でした。
I like this school.
手紙の最後に書かれた一文を見て、イギリスにやって本当によかった!間違いなかった!
そう思い始めた母がいました。
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