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≪第3話≫ 仕事復帰編
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仕事復帰した日のことは鮮明に憶えています。
その日、私が子供を妊娠しながら起業家やっているというTV特番の追いかけ取材があったせいもあるけれど、仕事に復帰できることがうれしくて仕方なかったのを今でもはっきり憶えています。
そのころ主人が車で会社まで通っていたので、子供を連れて車で1時間30分強の通勤は若干1ヶ月のトモには過酷だったかもしれない。
その上帰りは主人が終わるのを会社で待って一緒に帰っていたものだから、毎日家に着くのは12時過ぎ。 すっかり寝ているトモを起こしてのお風呂はかわいそうだと、ある日から朝風呂にしました
(でも、かわいそうだと思うのならばもっと早く帰ってやればよかったということに気づかなかった自分が情けない・・・・トホホホ)。
初めてシッティングルームへトモを預けに行った日、以外とすんなり・・・。 1才近くまではそれが当たり前だと思っていた。
シッティングルームではちゃんとしてもらってるのだろうか?泣きっぱなしにはされていないのだろうか? そんな心配はしながらも、だからといって預けることを辞めようなんて思わなかった。
私の中では 「1に仕事2にトモ」 だったような気がします。
でも、トモは誰にでも好かれた。 そして、シッティングルームでも保育園でも、トモに入れ込んで下さる先生が必ず1人はいらした。
それを彼の得な性格だと喜んでいた私だけど、最近、それが他人に預けられながらうまくやっていこうとする、トモの無意識な努力ではないかと気付き、とてもせつなくなった。
産まれてたった1ヶ月から過酷な人生を歩ませてしまったんだなぁ・・・そう思うようになったのは最近のこと 。トモがイヤを表現するようになるまで、とにかく働きながら子供を育て、自分の人生を思い通りにやっている自分にただ酔っていたような気がする。
すべてがうまくいっていると勘違いしていただけだったのかもしれません。
若干1ヶ月で出張にも同行させてしまったこともあった (といっても広島の母のところへ預けて博多に出張していたのだけど)。
そして、泊まりのある出張が続くたび、私のおっぱいは出なくなりはじめました (あたりまえですよね、いくらホテルで絞っても子供が吸うのとは大きな違いですから・・・)。
そして、トモを置いていった最初のパリ出張は、あまりトモのことを思い出さなかった。 むしろ私はイキイキしていたかもしれない。トモがまだ7ヶ月、でももう7ヶ月の秋の事でした。
トモが1才近くになり、預けるときに泣くようになって初めて、心にチクッと何か痛いものを感じ始めた。 それから、私の心の中で何らかしらモヤモヤとしたものが広がり始めたのです。
でも、1才前のトモ写真は実によく笑っている。 確かにケタケタ、コロコロよく笑う子でした。 私が子供みたいだから、遊ぶときに彼のところまで下りていって同じ年になって遊んでたからかもしれません。
つづく・・・(次回は 「トモ1才編」 ) |
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